罠猟における止め刺しという責任 ――安全と命に向き合うために

狩猟

※本記事には、狩猟(罠猟)に関する写真および記述が含まれます。血や動物の死を想起させる表現がありますので、苦手な方、閲覧に不安を感じる方は、ここで閲覧をお控えください。
なお、本記事は狩猟行為を推奨・指南するものではなく、
実際に罠猟を行う中で感じている「安全・責任・命との向き合い方」を記録として残すことを目的としています。

1.罠猟の現実として避けられない「止め刺し」

罠猟は、仕掛けて終わりではありません。
獲物がかかったあと、人が必ず向き合わなければならない工程があります。
それが止め刺しです。
この工程は、慣れても、回数を重ねても、「簡単な作業」になることはありません。

むしろ私は、最も気を引き締める瞬間だと感じています。

2.猟銃を使わない止め刺しで、最も大切にしていること

私の猟では、猟銃を使わずに止め刺しを行う場面があります。
その際、最優先しているのは、
・確実に動きを止めること
・最後まで油断しないこと
この2点です。
罠にかかっていても、獲物は生きています。
小さな個体であっても、力を残していることは珍しくないからです。

3.「小さい個体=安全」ではないという現実

罠猟をしていると、「このサイズなら大丈夫だろう」と一瞬でも思ってしまいそうになる場面があります。
しかし実際には、小さな個体でもワイヤーが切れることがあります。
写真は、実際に私が確認したワイヤーの損傷の一例です。
これは決して珍しいことではなく、油断すれば人が怪我をする可能性も十分にあります。
だからこそ、「かかっているから大丈夫」という考え方は、常に自分の中から排除しています。

4.止め刺しと放血について思うこと(方法の説明はしません)

止め刺しの具体的な方法や刺す位置について、ここで詳しく書くことはしません。
ただ一つ言えるのは、確実に止め、適切に放血することは、獲物に対する責任であり、肉をいただく側の姿勢そのものだと私は考えております。
中途半端な処理は、
獲物にとっても、
人にとっても、
決して良い結果を生みません。
そう考えます。

5.最後まで油断しない ――ワイヤーを外す、その瞬間まで

止め刺しが終わっても、ワイヤーを外すまでは緊張を解きません。
完全に終わるまでが、罠猟です。
この意識があるかどうかで、事故の確率は大きく変わると感じています。

6.残酷さと向き合いながら、それでも続ける理由

正直に言えば、この工程は決して「きれい」なものではありません。
血も出ますし、命が失われる瞬間でもあります。
それでも私が罠猟を続けるのは、この現実から目を背けず、命をいただくという行為に、最後まで責任を持ちたいからです。

7.原状回復と供養

獲物を回収したあとは、掘り返された土を戻します。
そして、日本酒をおき、手を合わせます。
首は庭に埋め、小さな墓石をおき、日本酒をおき、線香をたて手を合わせます・
これは誰かに強制されていることではありません。
私自身が、そうしないと前に進めないからやっています。

8.「これは私のやり方です」

この記事に書いていることは、正解でも、唯一の方法でもありません。
ただ、罠猟という行為の中で私が感じ、考え、続けている一つの姿勢です。
もしこの記事を読んで、「こんな考え方の猟師もいるのか」と感じてもらえたなら、
それだけで十分だと思っています。
おわりに罠猟は、成果が出るまでに時間がかかり、楽な猟ではありません。
それでも、自然を観察し、痕跡を読み、命と向き合う時間は、私にとって非常に濃密な大切な時間です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

最後に

本記事の内容や感じ方には、賛否があると思います。
すべての方に理解していただこうとは考えておりません。
あくまで、私個人の経験と向き合い方の記録として
読んでいただければ幸いです。

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